• お問い合わせ
    インターネット受付
  • 混雑状況チェック

神奈川県横浜市青葉区市ヶ尾1154
市ヶ尾プラーザビル1F

0120-179707

24時間ネット受付

レディースクリニック市ケ尾|横浜市、青葉区、都筑区、旭区 、緑区、瀬谷区、川崎市宮前区、川崎市麻生区 、市が尾駅、婦人科、更年期障害、ピル、緊急避妊、中絶

Dr.TAKAのこぼれ話

タウンニュース
教えてDr.TAKA
リンク集

その健康診断、本当に必要ですか?

近年、企業が従業員に対して健康診断を受けさせる義務が生じ、特定健康診断といった検診を受けている方が多く見られます。しかし、本当に健康診断により健康寿命は延びるのでしょうか?

欧米では、健康診断を受けた方と受けない方を比べて健康寿命が延びたかどうかを比較する調査が何回か行われました。結果、健康診断を受けていてもいなくても健康寿命に変わりはないという結果が出ています。ですから、欧米では日本で行われているような健康診断は行われていないというのが実際のところです。

ただし、健康診断を行って異常が見つかった方に治療を行うと、医療費は減るという結果も出ています。つまり、健康保険の出費を減らせるという効果はあると考えられます。

卑近な例を挙げますと、私の義父は病院で検査を受けた後、帰る途中に心筋梗塞で亡くなりました。検診とはそんなものなのです。最近では、肺がん検診で癌を見逃したという事をマスコミが大々的に取り上げていました。確かに数回癌検診を受けていたのに見逃されていたというのは、若干違和感はありますが、肺のレントゲン検査はもともと肺結核の検査として発展した検査であり、肺癌に関して本当に有効であるかどうかは疑問の持たれるところなのです。もちろん、現在はデジタル技術が発達し、レントゲンをデジタル化して診断することで、より精密な診断ができるようになってきています。

そもそも、今までの身体の状態もよく把握しないままいきなり検査をすることで体の異常を発見しようなどというのが虫のいい話なのです。人の身体というのは、個人差が大きく、検査の結果の評価は標準偏差内に収まったものを正常としているにすぎません。ですから、人によっては、いつも異常値が出るけれど異常はない。という方もいれば、いつも正常値だけれども本当はその方にとっては異常という事もあります。簡単に言えば、例えば体温などもそうでしょう。いつも私は36度後半で、時には37度を超えることもあるけれど体調に異常はないという方もいれば、いつも35度台で36度後半になれば、体調が悪くなるという方もあるのです。

ですから、本当は健康診断の結果というのは、個人差があって当然なのです。しかし、検診病院では、標準的な基準値をもとに異常が出れば異常と判断します。本当は、経過をみて変化を確認するべきなのにです。

さらに検診では、結果を単純化してしまいます。我々医師が、どういった検査がどのような状態で、それをどう判断したから異常なのかという事は、個人に送られてくる結果の用紙には書いてありません。ただ、この検査が異常値ですので異常です。もしくは、異常です。としか書いていないのです。受け取った側としては、何がどう異常なのか判断しようがありません。

検診を推奨する一方で、政府はかかりつけ医を作れとも言っています。これはどういう事でしょうか?つまり、本来はかかりつけ医できちんと経過を見ながら健康管理をした方がいいけれど、ちゃんと病院にかからない国民が多いから、せめて検診を受けて医療費を削減してくれ!という事ではないのでしょうか?

昔は、何かあったら村の診療所の先生に診てもらうというのが当たり前でした。医療が細分化していない時代は、内科でも小児科でも眼科でも皮膚科でも全部村の診療所の先生に診てもらったのです。村の診療所の先生は、その人の家族構成から親の病気、昔の病気、飲んでいる薬、最近の体調やら仕事から友人関係まで全て知っていました。しかし、今の世の中、個人情報は保護され、医療は細分化されているので、一つの病院にかかってすべてを把握してもらうなどという事はできません。内科ならあの医院、整形ならあの医院というように、時代に合わせて細分化してかかりつけ医を作っておけばよいのです。そして、その時限りの検診医に健康診断なんてしてもらうより、かかりつけの医師に必要な検査を必要な時にやってもらう方が、ずっと有用なのです。

検診病院で年に一回、その時限りの検診を受けるなんて、ほとんど役に立ちません。そんな検査に無駄な時間を費やすなら、きちんとかかりつけ医を作って、貴女に合った検査を適切な時期に行ってもらった方がどれだけ役に立つことか。そして、異常が出た時には、かかりつけ医に適切な病院に紹介をしてもらって、きちんと詳しい検査をしたり治療をしたりという事で医療というのは完結するのです。

ですから、私は、経過観察をしている病院や継続して処方を受けている病院があれば、その病院に相談をすることをお勧めしています。決して、めんどくさいから追い払っているというわけではありません。最終的に貴女のためになるのは、いつも経過を見てくれているかかりつけの医師に相談することなのですから。

貴女はスティーブンスジョンソン症候群(SJS)中毒性表皮壊死症(TEN)を知っていますか?

 SJSやTENは原因は不明ですが、感染症や薬剤による副作用として知られている疾患です。
抗生剤、鎮痛剤、局所麻酔薬などで稀に起こる可能性があります。
症状としては、高熱や全身倦怠、のどの痛みなどとともに、目や唇、尿道、肛門などの粘膜に、さらには気管や食道の粘膜をも侵し、全身に広がる水疱とただれが生じます。
重症化すると、失明をしたり感染症による敗血症で亡くなることもあります。
稀ではありますが、非常に重症な合併症です。

 さて、貴女は薬を処方されるときに、こういった話を聞いたことがあるでしょうか?
近年、司法の判断では、こういった稀な重症な症状について添付文書(薬剤の説明書)に書いてあれば、医師が説明をしなければいけないという傾向にあります。
また、司法の判断が無いにしても、こういった重症な症状が起こるという事を患者さんがわかっていれば、救急病院を受診する機会を失せずに助かる可能性があります。
そういった意味で、当院では、できるだけ添付文書もしくはPMDAの医薬品ガイドを参考にして、副作用について説明しております。

 さて、診療時間というのは限られています。日本の医療は3時間3分医療などと揶揄されて長い間が経っていますが、改善される傾向はありません。なぜなら、医学が進歩するにつれ、疾患に対し、検査に対し、薬剤に対し、副作用や合併症に対し、説明をすることが増えてきたからです。とても3分以内に話すことはできません。例えば、当院ではピルを処方する際、副作用、乳がん自己検診の方法、ピル検診の手順、服用者向け情報提供資料などを丁寧にお話しするので20分から30分かかります。その間、他の患者さんにはお待ちいただいているわけです。

 そのような医療をおこなっているのに、よもやま話をしたり世間話をしたりして時間を費やせるでしょうか?答えは否です。そのような無駄話をしているうちに、一つでも副作用や合併症の話をしておかなければ、何か起こった時に貴女が対処できないのです。貴女が自分自身で対処できなければ、場合によってそれは死を意味します。

 ですから、私は、事実をできるだけ詳細に真摯につたえているのです。ニヤニヤ笑ってよもやま話をする時間はありません。よもやま話ならテレビのバラエティー番組で見てください。おそらく、私よりもずっと訓練したプロが、とても面白いよもやま話をしてくれるはずです。そして、優しい言葉をかけてもらいたいなら、家族や友人にお願いしてください。私はクリニックの外来で数か月に一度、数分顔を合わせるだけの人間です。そんな人間に癒しを求めても意味はありません。もし、医学的に癒しをもとめるのであれば、それは精神科の医師の役目です。一般的な癒しを求めたいなら、家族や友人がいるでしょう。

 医師から聞く言葉はおべんちゃらや、よもやま話ではなくて、医学的に正しい真実を聞くべきです。そして、その真実をもとに、判断をしどのような治療を受けるかを決めるのはあなた次第です。そうした選択をする場合の精神的ささえになってくれるのは、友人であり家族です。医師など、数週間に数分しか会わないのに、貴女の生活や考え方などわかるはずがないのです。

 だから、私は診療中におべんちゃらや、よもやま話をしたりはしません。ただし、医療として間違えたことがあれば、厳しく追及します。

 それに不快感を感じたり、いやな思いをしたり、考えたこととは違ったりしたのなら、正直な話、おべんちゃらやよもやま話で話を濁してくれる病院など近隣に沢山あります。そういった病院で、楽しく受診をしていただければ問題ありません。

 私の気概としては、今までの医師の気分に左右されがちな気ままでアナログな医療から、どの医師がどう判断しても間違いのない治療へ導くデジタルで合目的的な医療へと、今の開業医の医療を変えていきたいと考えています。

 現在の医療は、まだまだ、あまりにも医師の裁量を重視しすぎて、様々な医学的判断をうやむやにして誤った診断や治療に甘んじていると思っております。
そして、それを脱するためには、薬剤の副作用から、考えられる診断、そこから導き出される治療と様々な選択肢を抽出して、十分納得していただいたうえで最終的な治療の選択を行ていただくという事が必要です。

 ですから、私にはおべんちゃらやよもやま話をしている暇はありません。医師に求めるものがそういった事では、正直な話、低級な医療しか受けられません。医療を受けるからには、専門家を信じて、治療にむかって真剣に頑張っていくことを求められるのです。

 そういったわけで、私は、無駄口をたたかないで、必要なことを必要なだけ話すように努めているのです。医療は決してスマイル0円ではありません。スマイルは、最後に病気を克服した時に得られる、Price less(値段のつけられない価値)なものなのです。

院長室の窓から

 20坪あまりの狭いわが診療所の、これまた狭い院長室の窓から冬の空を眺めつつ患者さんを待つ。周りをコンクリートで囲われた窮屈な部屋の中から、窓の外を眺めると、すすけた街路樹、国道をせわしなく流れていく自動車、目の前に立ちふさがるように並ぶマンション、建物に小さく切り取られた空などが目に入る。「智恵子は東京に空が無い」と言ってからずいぶんと経つけれど、やっぱり都会には空は無い。窓から見える小さく切り取られた空は、灰色の電線や、けばけばしい色の看板、まぶしい光を放つ信号機、無表情に立ち並ぶ電柱などでとっちらかっていて、まるで、院長室の机の上のようだ。いろんなものの隙間からようやくのぞいている空にしても、くすんでいて、灰色だか青色だかもわからないくらいだ。

 私は田舎者だから、空は広くて高くて青いものだと思っている。小学校の頃に見た空は、確かに、宇宙の漆黒が透けて見えるほどの高くて青い空だった。そして、かつて見た空には表情があった。冬の、今にも雪が降り出しそうな、凍えた重ったるい雲をいっぱいにはらんだ悲しそうな空や、春の、春霞のコロイドをいっぱい含んで、太陽の光をぼんやりと反射している眠たそうな空や、夏の、もくもくと空いっぱいに大きく広がる入道雲を携えた、湿気を含んだ大きくて元気な空や、秋の、ずっとずっと高いところにすじ雲をいっぱいに流した、どこまでも透明でツンとすました空。朝の空は、澄んだ空気を満タンにして、朝日を待ち焦がれながら紫色に光っていたし、夕方の空は、ちょっと疲れてむくんだ空気の向こうに、けだるげなオレンジ色の光を放っていた。いつもいつも空を見れば、空には表情があったものだ。

 しかし、都会の空は違う。いつもふくれっつらをして、晴れていても、なんだか機嫌が悪そうにもやもやとしている。朝焼けだって、夕焼けだって、いつも、建物や電線、電柱、看板、信号機なんかに邪魔されて、必ずどこかが切り取られている。あんな姿の空を見るのはなんだか気の毒でさえある。夜だって、都会の夜空は真っ暗だ。いつ見上げても、数えるほどしか星はない。田舎で見た、あの、キラキラとうるさいほど光っていた星は、どこへ隠れてしまったのか知らん?

 でも、都会だって別の表情がある。街を歩けば、ピカピカ光るガラスを身にまとった高層ビルが立ち並び、整然と街路樹の並んだ町並みがあり、その中をきらびやかに着飾った人たちが胸を張って闊歩している。店に入れば、色とりどりのいろいろな物が無数に満ち溢れ、目もくらむばかりである。夜になれば、星の代わりにネオンや蛍光灯が光り輝き夜空を七色に染めている。都会の空は、そんな物たちのただの背景に過ぎないのかもしれない。

 ふと気がつくと、日が暮れていた。寒くなってきたのだろう。窓についた露が無数に水滴を作っている。国道を走る車のテールランプが水滴に反射して、まるで、ルビーの宝石箱を覗いているようだ。それにしても、こんな物思いにふけっている時間があるというのは、ウチの診療所大丈夫なのかな?と、現実に引き戻される。

健康診断の落とし穴

  • 健康診断は、何も症状がない健康な方が受診することを前提としています。したがって、今ある病気を詳しく検査するわけではありません。
  • 検診病院では、検診を持ち回りでやっていることがほとんどです。場合によってアルバイトで他の病院から来た医師がやっていることもあります。そのため、前に行った検診との連続性もありませんし、その時その時の医師の能力で診断も変わってきます。
  • 検診病院の結果は、実に大雑把な結果で返ってきます。したがって、医療的にどのような状態だったのかを把握することはできません。そのため、病気があるということだけの情報で、病気がどのような状態で、どのような治療が必要なのかは全く把握できません。
  • 検診病院で勧められても腫瘍マーカー検査は受けないでください。腫瘍マーカーは画像診断などで明らかに腫瘤がある場合に、その腫瘤がなんであるかを鑑別するための検査です。むやみにマーカーを調べて特定の癌の死亡率が減ったという報告はありません。腫瘍マーカーを勧めるのは、それらしいことを簡単にできて、その結果に責任をおわない検診病院だからできる金儲けの手段です。万が一、検診で受けた腫瘍マーカーの異常が出れば、たとえ健康体であっても、一生、そのことに付きまとわれることは覚悟してください。
  • 特に、異常を指摘されたことがある方は、検診で経過観察はしないでください。検診では、前回の結果などと比較することが難しいうえ、異常が起こった際の精査ができません。異常があると言われた場合には、きちんと、専門の医師にかかって相談するべきですし、その後も同じ医師のもとで経過観察をする必要あります。せっかく検診を受けても、検診ではその場限りの結果になってしまうので、今までの経過や所見がわからなくなり、治療の継続が難しくなることがあります。かかりつけがあるのなら、そのかかりつけで癌検診も含めた病気の検査をするべきです。
  • 検診はきちんと使い分けましょう。何も症状がない方は、検診で異常があるかどうかを見つけるという事です。症状や異常を指摘された方はその問題についての詳しい検査が必要ですから、検診では不十分です。自ら治療の意志をもって専門科にかかる必要があります。何でもかんでも検診などで経過を見ていると、ある時突然ひどい異常を指摘されて、大変な事になってしまうかしれません。
  • 検診は検査ではありません。症状がある方は、検診ではなくて検査を婦人科で受けてください。

健康診断だけでは貴女の健康は守れません!

近年は人生百年時代といわれ、健康寿命に人々が関心を持ち、空前の健康ブームとなっています。マスコミもそれを受けて健康番組を次から次へと放送しています。また厚労省の指導によりメタボリックシンドロームに対する特定健康診査や特定健康指導なども取り入れられ、健康診断を受けている方が非常に多くなりました。

健康診断は健康な人生を送るために、とても有意義なことだと思われていますが、そこには隠れた問題があるという事を忘れてはいけません。毎年きちんと健康診断を受けることが、どうして問題なのでしょうか?

最近になって当院を受診される方で「健康診断で病院にかかるように言われたけれど、毎年検診を受けているので、大丈夫だと思った。」と言って、子宮筋腫によるひどい貧血や、子宮内膜症によるひどい卵巣嚢腫などを抱えて来院する患者さんが増えてきました。

何が問題なのでしょうか?健康診断というのは、もともと疾患のない人を対象にした検査であり、異常があれば、きちんと専門科にかかるというのが前提になっています。そのため、検診で異常があっても、それ以上の詳しい検査は専門科にかかって行わなくてはいけないのです。しかし、異常があるとわかっているのに、専門家にかからず検診だけで経過を見ていれば、その異常の詳細はわかりません。もし、その異常が癌だとしたら大変なことになります。癌ではないとしても、例えば、子宮筋腫であれば過多月経がどんどんひどくなり簡単な貧血の治療では追い付かなくなって、手術が必要になるかもしれません。また、卵巣嚢腫などでは、これから癌になるかもしれない細胞が潜んでいたり、どんどん大きくなって捻じれたり破裂したりして腹部激痛で救急病院にかかる事になるかもしれないのです。

しかも、健康診断では結果を詳しく医師から説明してもらうことはまれです。簡単な検査結果が郵送されてくるだけのことがほとんどです。これは、あくまでも異常があれば専門科にかかって詳細について検査をするという事が前提になっているからです。

そのうえ、検診では多くの場合、アルバイトの医師がその時だけ検査をしていることが多いのです。したがって、正確な診断ができるわけではありません。継続的に同じ病院で検診を受けていても、別の医師が診ていることが多く、前回の状態と比べることは難しいのです。

病気の中には、今の時点での所見だけではなく、数か月後の経過を診ないとはっきりと診断できないことも少なくありません。ですから、同じ医師にきちんと継続して診てもらうという事が非常に大切になるのです。

こういった問題があるにもかかわらず、健康診断を年一回受けるだけで安心している方が少なくありません。ひどくなって、手術が必要だとか、場合によっては癌の可能性があるとか、そうなってからでは治療は後手後手になって良好な治療結果が得られないこともあるのです。ましてや、癌ともなれば命にもかかわる危険性もあるのです。

ですから、私のお願いは、検診で異常があると言われたら、必ず専門科にかかってくださいという事です。検診は異常があるかどうかを調べるだけのものです。検診で異常があったら、きちんとその異常が経過を見ているだけでよいのか、すぐに治療をする必要があるのかを、早急に専門の病院で検査する必要があります。検診の結果が、簡単な書類で送られてくるからといって、その指示を無視しないでください。検診の結果を受けて、必要なら専門の科を受診することが無ければ検診を受けている意味はないのです。

さらに問題なのは、以前、専門科にかかって経過を見ていたのに、面倒だからと言って検診でお茶を濁すようなことは、決してしないでいただきたいという事です。検診では、貴女の今までの異常など考慮せずに、ただ単に今の状態を確認するだけです。決して、貴女の疾患を詳しく診てくれるわけではないのです。

現在社会は、実に物事が簡単になってきました。物を買うのも人と話すのも保険に加入するのも税金を払うのも就職先に履歴書を出すのも、コンピューターのクリックだけで簡単に済む世の中です。しかし、貴女の健康の維持については、そう簡単にはいきません。実際に検査を受けに行って、面倒くさい説明を聞いて、再診の日を決めたり、紹介された病院にかかったり、本当に大変なことです。でも、こういったちょっとした苦労の積み重ねが、結局は寝たきりにならない健康寿命を延ばしてくれるのです。いくら長生きしたって、ベッドに寝たきりの余生では、友達と旅行に行ったり孫と遊園地に行ったりする楽しみも無くなってしてしまうではないですか。それが人生百年と言われる現在の日本人に課せられた大切な心掛けなのです。

健康診断は専門科での診察とは同じではありません!

医師が患者さんに寄り添うというのは本当か?

いつの頃からでしょうか?やたらに「寄り添う」と言う言葉を見かけるようになりました。病院のHPで「患者様に寄り添った医療」であるとか、医薬品の宣伝で「患者様に寄り添った医薬品」であるとか、医療関係以外でも化粧品や衛生用品、医薬部外品、家電製品までありとあらゆる物に「お客様に寄り添った」と言う言葉を使いたがります。

私は、これはマスコミの流行の一部に過ぎないと思っています。某健康ドリンクの「ファイトーいっぱぁつ」と言うセリフ程度のものです。コピーライターがさもそれらしい言葉で人々を誘っているに過ぎません。

人に寄り添うということはどういうことでしょうか?10年くらい前にアメリカの医学論文で、「小児病棟に入院した患者は白人系よりもラテンアメリカ系の患者のほうが回復が早い」と言うものがありました。内容としては、白人は医療関係者に診療を託して子供の近くに居ることが少ないが、ラテンアメリカ系の人は、家族総出でやって来てできる限り子供に声をかけたり世話をしようとする。この事が、患者の回復を促している可能性がある。というものでした。私はこの論文を見た時に、我が意を得たり!と思いました。医師や看護師がいくら丁寧に医療をしようが近くにいようが、家族や友人がそばにいることにかなうことはないのです。寄り添うとはそういうことです。本当に患者さんが信頼して心の頼りとしている家族や友人でなければ寄り添うことなどできないのです。

考えてみて下さい。もし、貴女が病気で亡くなったとしても、医療関係者はその時は神妙な顔をしてお悔やみの言葉を申し上げるでしょうが、その次の瞬間には、次の患者さんに意識を注がなくてはいけないのです。そして、貴女が亡くなっても彼らの家族や友人がおり、また、いつもの生活を続けるわけです。ところが、貴女の家族や友人は、貴女を失ったことを一生心の中に留めて生きていくわけです。医療者は本当に患者さんに寄り添っていると言えるのでしょうか?私からすれば、答えは否です。こんなもの寄り添うとは言えません。

もし、私が病気になって患者になったとして、医療者が「あなたに寄り添った治療をします」などと言ったら許しません。じゃぁ、お前は他の患者のところに行かないでずっと俺の横についていられるのか!俺が死んだら、一生俺のことを弔って生きてけるのか!と問いただしてしまいます。ずいぶんアマノジャクですね。でも、医療者は他人です。家族でも友人でもありません。ですから、寄り添うなんてことより、医療のプロフェッショナルとして、私の病気にベストな治療をしていただきたい。これが望みなのです。

例えば、なにか犯罪に会って弁護士に相談に行ったら「あなたに寄り添ってがんばります。」などと言われても少しも嬉しくないではないですか。それよりも、裁判官や裁判員を納得させて、被告に十分罪を償わせます。と、約束してもらったほうが頼もしいではないでしょうか。

「患者に寄り添う」などという言葉は、もう、これ以上治療のしようが無いという時の最後の手段です。それまでは、必死になって治療の方法を探し求めて、なんとしても諦めずに治療をするというのが医師の使命なのです。医師が「あなたに寄り添って治療をします」などと、共感と同意などという心理学的手法を用い始めたら、それは「治療法がないので諦めて下さい。」ということです。ですから、ヤブ医者ほど「患者に寄り添った医療」などと簡単に言ってしまうのです。

マスコミは「患者に寄り添った医療」が大好きなようです。以前、マスコミが東大の医学生にアンケート調査を行ったところ「患者に寄り添った医療」と言うより「きちんと正しい診断と治療」が優先だと答えた医師が多かった。これは由々しき問題だなどと社説でのたまわっておりました。でも、正しい診断と治療ができない医師が、何をできるのでしょうか?寄り添うより、先にやることがあるだろう!と、私は憤慨していたのです。

ですから、私のクリニックのホームページには「当院ではマスコミで称賛するようなサービスはしておりません」というような過激な文章まで掲示しております。マスコミなどというものは、自分たちが売れそうな都合の良い記事を半ばでっち上げて世間に広める団体です。もちろん、時にはその事が政治を改善して世の中を改めたり、制度を改善して人々の生活を良くしたりすることがあります。しかし、一方で偏った意見を尊重し、本当に必要なことを見失わせたりするのです。例えば、戦時中は政府の圧力により戦争を鼓舞するような記事しか書きませんでした。もちろん、政府によって抑圧されていたのですから、自由にはならなかったのでしょう。しかし、戦争が終わってから、そういったウソを書いた事を真摯に反省したマスコミが居たでしょうか?政府の圧力のせいだからしょうがなかったんじゃネ?くらいの事しか考えてない。いまでも、ヤラセや捏造があるにもかかわらず、記事は大きく訂正は小さくしか出しません。これが、マスコミの正体です。ただ、それはマスコミの先天的な問題であり、今更改善できることではないのです。ですから、今、それを受け取る我々がそういった事を理解し、真実をその中から選び取らなければいけないのです。

かの悪名高きナチスドイツも、マスコミを操作することによって、ドイツを支配したと言われています。あのような、経済的、政治的混乱の中でも、ナチスは危険だということをわかっていた賢者はたくさんいました。しかし、それよりも多くの国民がマスコミを信じてナチス党やヒトラーをあそこまで強権的な集団にしてしまったのです。

現在では、インターネットが発達し、従来のマスコミの何百倍何千倍の情報を手に入れることができます。しかし、あまりにも選択肢が多すぎて、かえって選択できない事態が起きているとも言えます。そのためには、一人一人が十分に考え選択して、最終的に自分の意見として考えをまとめるべきなのです。そのためには、多くの情報を入手し、自分なりに分類していくことが必要です。それをできない人たちは、つまらない端的な協議を唱える危険なカルト集団に傾倒してしまうことになったり、そこまで行かなくても、中立性を保っているようなふりをしながら、ある一つの思想を刷り込もうと企んでいるマスコミなどに傾倒してしまうことになるのです。

話を最初に戻します。当院では、マスコミで称賛されるような「患者さんに寄り添う」などという医療はしていません。なぜなら、当院に通ってこられる患者さんのほとんどは、既に治療の施しようがないなどということは無いからです。で、あれば、寄り添うことよりも前に、的確に診断し治療をすることが一番必要なことなのです。貴女に寄り添ってくれるのは、家族や友人であり、貴方に何が起こっても、明日からいつもどおりの生活をできる我々医療者がやることではないのです。そして、その医療は、今がよく見えるだけではいけません。将来に渡って、一生貴女が健康的に生活を送れるように考えた医療でなければいけないのです。ましてや、当院の儲けを考えて、今だけ通ってもらうための医療なんてクソくらえなのです。ですから、当院では「患者さんに寄り添った医療」などというマスコミで称賛されるような医療は行っておりませんし、なんだか優しくていい感じの話など一切行わないということなのです。

私は、病院は刑務所と同じだと思っています。治療が終わって病気が治ったら「二度とここに来ては行けないよ。」と言って送り出すべきだと思います。病院なんて、健康的な人生を送っている方には必要のないものなのですから。

自分のことは自分で守らなきゃ

ときどき、外来に欧米の方がいらっしゃいます。(もちろん、日本語が堪能な。)
それで、やはり、あちらはインフォームドコンセントの国であるなぁと、感じさせられるのです。
つまり、とにかく自分が納得しないと先に進まない。分からないことがあったら徹底的に質問します。その内容は、別に専門的でないことも多い。自分の経験上そうでない方が、良いんだけど。というようなことも結構多いのです。
そして、質問する替わりにこちらの話も、プロの意見として非常によく聞いてくれますし、理解できれば尊重もしてくれます。
この辺が、外国人の方と話していると、大変だけど、うれしいところです。
結構そういう方も、日本人でいらっしゃるけれど、まだまだ少ない状況です。
意見の多い人は、結局自分の意見を言うだけで、こちらの言うことを聞かないような事も少なくありません。

そこで、インフォームドコンセントの基本にあるものはなにかと考えますと、やはり、自分がどうしたいのかという確固たる意見だと思うのです。
私は、薬は飲みたくないとか、副作用が少なければ薬は飲んでもいいとか、手術が必要なら手術をすぐに受けたいとか、他の方法があるのなら、それから始めたいとか。
ひいては、私は、がんと宣告されたら、できる限りの治療を受けたいとか、成功の確率が、6割以上であると保証された治療しか受けたくないとか、確固たる自分の意見があるからこそ、説明を受けて、自分の納得できる方法を選択して、必要な治療を受けることができるのだと思います。
しかし、その確固たる治療への考えというのは、元はといえば、自分の生き方への確固たる哲学でしょう。
つまり、自分の存在スタイルが決まっていなければ、病という、自分の存在を脅かす外敵に対して、どのように対処するかという方法は決めようが無いでしょう。

そんな小難しいことは考えなくても、もう少し、自分がどうしたいかを考えた方がいいのではないでしょうか。
例えば、子宮筋腫で貧血がある患者さんが来られて、手術の治療、点鼻薬(鼻の中に噴霧する薬)の治療、注射の治療、そして経過観察と貧血の治療の、四つの方法をお話します。
手術の話をすると、「ええ、手術ですかぁ、なんとかならないんですか?お腹切りたくないんですよねぇ、痛いでしょう?」点鼻薬の話をすると、「私、鼻炎あるから使えるかしら、しかも毎日でしょう?できるかしらぁ?」注射の話をすると、「私、注射嫌いなんです。」じゃぁ、少し様子を見て貧血の治療だけでもしましょうか?と言うと、「でも、筋腫は治らないんでしょ?」一体、誰の治療の話をしているんでしょう?

結局、その日は自分で決められずにとりあえずお帰りになって、後日いらっしゃるなり、「家族や友達から、それなら早く切るべきだって言われたんです。
家族も、夏休みなら大丈夫だから、手術の予約を入れて来いって・・・。」で、あなたはどうなんですか?「周りが皆その方がいいって言うし、夏休みなら休みが取れるし、手術しようと思うんですけど・・・。」

あなたは誰の病気を治したいの?家族の病気を治してあげるつもりなの?
家族のことを考えて、自分で決めたというように考えれば良いのでしょうが、それにしても自分の手術を家族や友達に決めてもらうとは・・・。
外来をやっているとそんな話はよくあるんです。これが、インフォームドコンセントといえるのかどうか?

そして、これは絶対に忘れてはならないのは、あなた自身を守れるのは、あなた自身であるということです。
あなたの家族は、最も協力的で不可欠なパートナーですし、信頼できる主治医は、治療への水先案内人です。
でも、実際に治療を受けるのはあなた自身で、誰も替わることができないのです。
最後の最後には、あなた自身が、いろいろな情報から自分に一番適切と思える治療を選択しなくてはならないのです。

よかよか医者にご注意!!

大抵の日常の病気はよかよか医者だろうが、葛根湯医者だろうが、誰でも治せるのです。
というか、治ってしまうのです。
ただ、ほんの一握りの重症な病気になった場合に、よかよか医者にかかっていると、大変な事になってしまいます。

それでは、普通のときは別に何も弊害は無いじゃないかって?いえいえ、そう言う医者にかかったらいらない薬でも、いらない検査でも何でもかんでも出来る事はすべてやられてしまいます。まぁ、それの方が病院に行った気がして安心感があるというのなら別ですが・・

そして、よかよか医者はただ、自分の都合の良いようによかよかいっているだけですからもし、万が一自分の手におえないような病気でも、平気で引き伸ばせるところまで引き伸ばして自分の病院に通わせようとします。
うっかりすれば、無用な処置をして、それから他院へ送るような事も平気でしますし、もっと能力が無ければ、そういうことをしているという事すら自分で気がついていません。(診断がつかない。)
結局、患者離れの悪い医者(手に負えないと思っても他科や、他院に紹介しない医者)は、よかよかであるといえましょう。

いづれにせよ、よかよか医者にかかっていれば、お金をかけるか、自分の命を賭けることになるのは必至です。

よかよか医者にご注意!!

よかよか医者の見分け方。

よかよか医者には以下のような特徴があります。

  • あなたが、要求すると、とにかく何もいわず、投薬や、検査を行う。
  • 投薬や、検査について、説明しないか、もしくは、副作用や、合併症を言わない。
  • あなたの訴えに対して、きちんとした説明を行わない。診察所見の評価なども言わない。
  • 治療方針について詳しく説明しない。いくつか考えられる治療があっても自分のやりたい治療の事しか説明しない。
  • 治療法についても、副作用や、合併症についての説明が無い。
  • 分からない事を分からないと認めない。
  • 分からない事があっても調べてくれようとしない。

医者だけでなく、どんな人に接するときもそうですが、都合の良い事ばかり言う人はいんちきだって事です。
医学には、わからないことがたくさんあるし、薬には、副作用が、治療には合併症が必ずあるのです。
それを隠しておこうとするとは、人を馬鹿にしているとしか考えられないでしょう。
医者も万能ではないのですから、必ず分からない事もあるはずです。

本当に、あなたの事を考えてくれる医者なら、分からない事は分からない事として、調べるなり、わかる先生に紹介してくれるなりしてくれるのが当然だと思いませんか?

本当にあなたの事を考えてくれる先生なら、薬の副作用や、治療の合併症について、話してくれると思いませんか?

あなたが、治療に不適切な事をしているならば、きちんと指摘してくれると思いませんか?
やさしいだけの先生は、結局自分の人気だけを考えているのだという事をお忘れなく。
例えば、誘拐殺人犯だって、皆あんな良い人がねぇと、言われる時代なのです。やさしい事を言って、人をだますのは簡単な事なのですよ。もっとしっかり目を見開いて、本当にあなたの事を考えてくれる主治医を見つけて下さい。

信言不美、美言不信

(真実の言葉は飾り気が無い。飾り立てた言葉は真実の言葉ではない。)

老子 第八十一章

Page Top